佐々木一成のブログ

元JOYBRASS トロンボーンアドバイザー 佐々木一成のブログです

楽器と言語と音楽と

どうも、アドバイザーの佐々木です。

今回は言語による影響が管楽器奏者にはあるのか?です。

個人的な感覚でしかないのですが、僕個人の意見は

あるっちゃあるし無いっちゃない。

です。(なんだそりゃ?って感じですが…)

口の中や舌を駆使しながら演奏する管楽器にとって普段使っている言語の使い方=舌や唇の使い方のバリエーションがそのまま音に出てくることは実はよくあったりします。そういう意味では例えば日本語の場合、他の言語に比べて母音や子音の種類が少ないことが多く、例えば発音や聞き取りのカテゴライジングが多言語において違うものを同じだと認識してしまうこともあります。これは僕も留学時代にめちゃくちゃ注意されましたね。

ただもちろん個人差もありますし、方言や訛りのように同一言語を母国語にしている場合でも土地や習慣などで違うことよくありますよね。なので普段喋るときに使っている動きは楽器を吹くときにも同じような感じで使いがちになります。それが大きな違いとなっていく可能性があります。

でもでも?実際には、現代において大きく違うことはあまりなくなっているように感じます。前にも書いたようにyoutubeなど、音源や演奏する映像など簡単に見ることが出来るようになっていますし、世界中でトレンドも含めた「良い演奏」というものをそれぞれがある程度追えるようになっています。そこで起きること、

 

音を知り、真似て、繰り返す(練習する)。

これは言語の覚え方そのものじゃないですか。

 

そう考えると昔は譜面が流通するだけで、音源すらないまま色々な解釈で演奏されていて、個性が強い演奏が多かったのだと想像できますね。それと比べて今はスタイルが慣らされて画一的だという話もありますが、しょうがない気がします。色々な音や演奏を聴いてみて「あ!この演奏が良いな。」という感覚の最大公約数的な部分に集約されていくのだと思います。それでも確実に音もスタイルも差が出るものじゃないですか?例えばワールドトロンボーンカルテットの4人だってそれぞれ個性的ですしね。そういう意味では、音も聴いたこともない楽器をポンと渡されて音の出し方だけを教わった場合が一番言語的な意味でも影響あるのではないでしょうか。僕の先生の話で、中学で部活に入って初めて吹いた楽器がクラリネットだったらしいのですが、家でご両親がクラシックをよく聴いていたみたいで、クラリネットという楽器がどんな音がするか知っていた記憶があり、初めて楽器を吹くのに、いきなり普通に音が出せたらしいです。

だとすると、やはり大事なのは自分が本当に欲しい音、フレーズ、イントネーション、質感etc…。を常に具体的にイメージしながら練習していくことだと思うのです(これまで幾度となく言ってる気がしますが…。)。そのためにも何を、どこを聴くかというインプットのアンテナのバリエーションもあったほうが良いと思います。蓄積されていったその先に自分の理想みたいなものが形作られていきますし、自分の技術や演奏タイプ的な妥協点もより生まれやすい(ポジティブな意味で)ですしね。

それこそが音楽という言語を習得するということに繋がっていくことになるのだと思います。

 

今回はここまで、それではまた。

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